この音無井路には悲しい歴史があります。元禄6年(1693)に、岡藩の家臣であった須賀勘助が、この南部地域一帯の
水利開発を計画しました。 そして、この水路開削工事は 難航をきわめ、幾多の障害を克服して、1715年になんとか
九重野上西まで通水がしました。しかし、この地区を 襲った暴風雨で水路の主要な部分はほとんどが損壊したそうです。
写真は須賀勘助の顕彰碑です。